浅草周辺の観光・イベント・見どころガイド
ガイドブックにない三社祭
その壱 宮神輿って何?
「浅草神社」(通称三社さま)には、このため、三基のお神輿があります。三社祭では、この三基に其々「土師中知」「檜隈浜成」「檜隈武成」がお乗りになるとし、町内神輿とは別格にして「宮神輿」と呼びます。
一番大きな鳳凰の飾りがついているのが「土師中知」の「一之宮」疑宝珠(ぎぼし)が「檜隈兄弟」のそれぞれ「二之宮」「三之宮」です。

一之宮
- 高さ:1,770mm
- 幅:1,850mm
- 鳳凰の高さ 660mm
- 台輪 :1,080mm(三尺六寸)
- 総高さ:2,430mm
- 本体重:622.2Kg
- 担ぎ棒総重量 404.0Kg
二之宮・三之宮
- 高さ:1,780mm
- 幅:1,850mm
- 疑宝珠の高さ:540mm
- 台輪 :1,080mm(三尺六寸)
- 総高さ:2,320mm
- 本体重:585.2Kg
- 担ぎ棒総重量:424.0Kg
資料提供:宮本卯之助商店
戦前の宮神輿は「徳川家光」の奉納といわれますが、戦災で焼失し、現在の宮神輿は昭和25年に「一之宮」「二之宮」が、遅れて昭和28年に「三之宮」が奉賛会に依って奉納されました。
宮神輿には、正面の屋根にそれぞれ「何之宮」と言う「駒札」が付いていて、どちらを向いているか、そして、どの神輿か判るのですが、先端の飾りが「鳳凰」なら「一之宮」、「擬宝珠」なら「二之宮」か「三之宮」であることを知っていれば、遠くからも識別できます。
「四之宮」?
ところで、「戦前は宮神輿に『四之宮』があった」ってご存知ですか?「三社のご神体は三体だから、『四之宮』がある訳ないでしょ?」その通りです。しかし、確かに「四之宮」はありました。
何故?実は、それまであった宮神輿三基の内一基が、国宝に指定され担ぐ事ができなくなり、この為もう一基「四之宮」をこしらえ、担いでいたと言うお話です。
三社祭は二部構成?昔、明治政府が、神仏分離をするまでは、「浅草寺」と「三社権現社」は一体でした。祭りも、「観音祭」と呼ばれ、3月17日、18日の両日に行われました。
「船祭礼」(船渡御)三基の宮神輿が、「堂上げ」の儀式で、17日の晩本堂に入り、一夜お篭りをして、翌朝「堂下げ」の後、牛車に乗り浅草見附(現在の浅草橋)まで行き「お旅所」に安置され、やがて一基づつ船にのって隅田川をさかのぼり、駒形橋脇の駒形堂で上陸して本社に戻る。途中、浅草寺子院な_賑やかさは無く、粛々としたものだったようであります。
陸のお祭を「庭祭礼」と呼び、いまの三社祭の原型です。分離後、「観音祭」は「浅草寺」の法要としての「示現会」と「浅草神社」の祭としての「三社祭」とに分かれ、それぞれ「示現会」は3月18日に、「三社祭」は、5月17、18日に(現在はこの日に近い土日)とりおこなわれるようになりました。
このときから、「船祭礼」は行われなくなりましたが平成12年3月、「浅草寺示現会」から、この一部が再開され、17日夕方、松明、かがり火の下5月の「三社祭」「庭祭礼」とは全く異なる、厳かな雰囲気の中、三基の宮神輿の「堂上げ」と、翌朝の「堂下げ」が行われる様になりました。
その弐 神輿心得 (これをやってはいけません)
×× 神輿を上から見てはいけません。(神様を見下げてはいけない)
×× 当然乗ってはいけません。
×× ハイヒールや革靴を履いて渡御中の神輿に近づいてはいけません。(担ぎ手は裸足が多いので、踏まれてけがをします)
×× 神社の鳥居、門の内側で見物してはいけません。(神輿が来た時逃げ場がなく、挟まれる恐れあり)
その参 祭り用語

- 花棒
神輿の真ん中の、一番太くて長い担ぎ棒、これの一番前を「花」と呼び、担ぎ手がここの取り合いをする。飾ってある時は、別の「飾り棒」と取り替えて「飾り棒」二本だけで飾っておく。
- 蕨手(わらびて)
神輿の屋根部分の四方に飛び出した、角の様な飾り。
- 擬宝珠(ぎぼし)
橋の欄干の飾りにもなっているが、身や神輿では「二之宮」「三之宮」の先端の飾りとなっている。
- おんべ
御幣。白木の角棒の先に幣束が付いていて、これを振る事で前を清める。神輿の前を清めながら進むので、遠くからでもこれを見れば、進行方向がわかる。
- しぎ
拍子木。やはり神輿の前で清めながら調子をとりながら歩くが、主に手締めに使われる。
- 三本締め
『♪シャ、シャ、シャン/シャ、シャ、シャン/シャ、シャ、シャン、シャン』が一本締め。これを三回繰り返すのが三本締め。よく、三三七拍子と勘違いされるが、三三七拍子は、応援団がやる『♪シャン、シャン、シャン/シャン、シャン、シャン/シャン、シャン、シャン、シャン、シャン、シャン、シャン』の繰り返しで、三本締めとは全く異なる。

祭り衣装
- 半纏(はんてん)
半纏とは現代風に簡単に言ってしまえば“ユニフォーム”のことで、一目瞭然パッと見て「あれは??屋の職人だよ」とか、浅草風に言えば「あれは??町会の半纏だから??の御輿だよ」とかすぐに解る、着る看板的な役割の物なのです。ですので、無地に襟に屋号とか職名が入って背中に家紋や印が入っているシンプルなものは職人さんに多いようです。反対に総柄で遠くからでも見て識別出来るような半纏の場合、祭礼関係や鳶職の方の半纏が多いようです。
- 半纏の生地
着る用途や季節によりますが、木綿・紬・絽・麻・紗と生地としては色々とあります。ここでは一番なじみのある、木綿の半纏についてすこし書きたいと思います。木綿というから安いのでは?と勘違いする人が多いと思いますが、いいえ違います。木綿こそ難しく高くつく半纏の種類なのです。
木綿の半纏は本来藍染めで、それ着て御神輿担いで汗かいて一日いれば汚れもします。お祭り中は2~3日ですから夜に竹竿かなんかに掛けておけば乾いて良いですが、お祭り終われば洗いますよね。今風なドライクリーニングなんかに出したってやはり汗かいて着ていると色あせがあったり擦れがあったり…
一回着る事に色落ちしていって2~3回洗ったりしていればもぅ柄が薄くなって格好いいものではありません。格好良く着るには、やはり全体に突っ張りが有り、肩から袖にピッと通った張りのあるものを着たい、ということで毎年新調することになる。それが毎年ですから、絹物よりも高くつきます、絹物はやはりものが良いので大事に着るので長くもちます。絹物の方が値段は数倍以上しますが、木綿をきれいに格好良く着るには枚数が必要になってくるので結局高くつくと言うことになります。
- 仕立て
簡単に半纏と言っても、粋や野暮の世界の着物ですから、S/M/Lでは格好が付かない、それは自分の体格にあわせて仕立てる事が一番です。自分のスタイルにあわせて、長めが良いのか短めが良いのか、合わせだって太っているのや痩せているので違います。袖口は何寸あけるのかとかもぅそれだけでも大変なのです。やはり、生地を染めた染物屋さんとか着物屋さんで良い仕立て屋さんを紹介してもらって、自分の今着ている半纏を持参して此処を何寸出すとか、何寸縮めるとか話をして自分寸法を出してもらった方が良いでしょう。
- スタイル
昔の浅草は、半股引に白足袋履いて、けつ切り半纏に帯び締めて、ねじり鉢巻きっていう格好が町人のスタイルだったのですが、いつの頃からか股引・腹掛け・わらじ掛けにわらじ、膝上まである半纏にひらぐけ帯という、火消しの鳶職の格好が流行しだして、今では古式に則って?半股引の人のほうが少なくなりました。(三社のような初夏の祭りには丁度良いかっこうなのですが・・)
- 股引・腹掛
やはり格好いいのは自分の体型に合わせて誂えるのが一番です。股引ならば、はいた時に腿や脹ら脛に余分が無くピシッとしているもの(よく「あぐらもかけねぇよ」というくらいピシッとしたのを履いている兄ィもいます)
腹掛けは、やはり体型に合わせて誂えて、首廻りがダラッとしていなく、喉仏の下あたりでキチット収まって下に着ているダボシャツが首廻りから見えない、というくらいしっかりとしてもらいたいものです。
- 帯
帯は人それぞれ趣味がありますが、基本的に半纏にあわせるとなると、三尺帯とか平ぐけとかが代表的なのではないでしょうか。
- 手ぬぐい
ここまで来たら、手ぬぐいにもこだわってみたいものです、手ぬぐいと言ったら木綿に染色したものが基本ですが、最近ではプリントなんてのも出てきているそうです。ここはやはり染め抜いた本物を使用してもらいたいと思います。
古典的な柄から今風な柄まで様々ありますが、味わいのある柄が日本には色々とありますので、好きな柄を選んで使用しては如何でしょうか。好きな柄やデザインでオリジナルを染める事だって出来ます。何枚染めるかによって単価は違ってきますが、仲間同士で手ぬぐいを染めて使用するなんて粋じゃないですか。
- 手ぬぐいの使用方法
祭りで手ぬぐいの使用方法と言えば、頭に被る・巻く… と色々ですが、ここでは頭の方を書いていきましょう。ねじり鉢巻き・・代表的なしめ方、ねじって後ろで結んだり、挟み込んだりする。鍬形・・兜の鍬形に似ている、適当な幅に折り、後ろで挟み込む。喧嘩被り・・道中被りとも言う、筒状に巻いて、後ろで結び止めるのが基本だが、変形として、被るのだが左右より若干ねじって後ろで挟み込む被り方もある。
- わらじ
わらじにはわらじ掛けと言う足袋を履きます。わらじは、細くて藁の紐自体も細くて芽が摘んであり、よく編んであるものが良いとされています。時代劇に出てくる侍が履いている草履のような大きなわらじは、お祭りでは格好良く無いのではないでしょうか。
※そのほか、帯の結び方やわらじの履き方など色々ありますが、それは次回に….